理解する≠できる

期末テスト時期につき、タイトル通りの内容を少しだけ。

 

世の中の「指導者」の多くは「理解するまで教えること」を善としていることが

多いように感じます。

もちろん、理解が伴うことは重要なポイントの1つであるとは思います。

が、理解したところで「それを使って何かできる」でないと意味がないと

私は考えています。

 

例えば、サッカーのメッシ選手のドリブル映像を見て

 

「こういうふうに動いていくのか」

 

と理解したところで、私にはそれが何の役にも立ちません。感心はしますが。

また、メジャーのダルビッシュ投手の投球映像を見て

 

「すごい球をなげるなぁ」

 

と感嘆しても、あのスライダーとストレートは私のモノにはなりません。

 

さらに、原理や仕組みが分からなくても、多くの人がスマホを使いこなして

いますよね。内容の理解なんて全く必要としていません。ツールとして使いこなす

ことができれば、それでOKですよね。

 

塾で言うならば、先生の授業中の解き方を見てノートに書き

 

「へぇー、すげぇなぁ。」

 

と言っているだけでは意味がありません。それを自分のものにするための

練習を積み、自分だけでモノにできなければ助けを借りてでもモノにする。

 

そのためのトレーニングジム&インストラクター的な存在が同志会の教室だと

考えています。もちろん、理解ができるように説明は尽くします(前提条件)が、

それ以上に「使いこなす」ことを重視しています。

 

自分を鍛え上げようと思っている小・中学生のみなさんをお待ちしております。