内申点対策の反則技?

 

今日はネットニュースでチラっと見た記事についてです。こういう記事は一体何回お目にかかっていることだろう?などと思いながらですが。

 

「過去問を塾でやるのは、『内申点対策』の反則技ではないのか?」

 

最初に同志会としての意見ですが、「反則」ではなく、生徒個人の努力の一部だと認識しています。この種の記事には必ずと言っていいほど

 

「『有識者』によると、生徒たちが過去問をやることで解答などを覚えてしまい、本来の学習から離れたものになっているということです」

「『有識者』によると、経済的に塾に通えない生徒との格差が生じてしまい、公平・公正な試験とは言えない状況になっている」

 

といった面白い(興味深い)内容が出てきます。こういう有識者の方々にウソ発見器を装着した状態でお伺いしたいのですが、

 

「あなた方は大学入試(共通一次・センター・二次試験等々)を受験する際、一切過去問を見ることなく、ただ学校指定の教科書だけを学習して大学に合格しましたか?」

 

「経済的に塾に通えない生徒さんが特待制度を採用している塾を探してそこに通わないのは何故ですか?近所にそのような塾がないならばオンライン無料塾を使用しないのはなぜでしょうか?」

 

思うに、中1の社会のテストで「『聖徳太子』がテストに出る」ということを過去問で知って、聖徳太子の漢字を正しく覚える、厩戸皇子も覚える。この行為は学習ではないでしょうかね。塾に通っている生徒さんは、本来自由なはずの時間を、(保護者様が)お金を払ってまで学習に励んでいるにもかかわらず、その評価が「反則技」とは…。

 

近くのスーパーやコンビニの駐車場で奇声を上げながら(ホント、奇声です。犬山あたりのモンキーパークから脱走してきたのかと思うレベル。)課金したオンラインゲームのガチャを回しているよりも、よっぽど正しく努力していると感じるのは私だけでしょうか。

 

※課金ガチャも私個人は否定しません。その子はそのゲームで上に行くために最善手を実行しているだけですから。ただ頑張るベクトルがゲームという種目だというだけです。

 

大学全入時代もすぐそこですし、入試の扱いも大きく変わりつつある時代ですが、過去問すらとやかく言われるようになるのでしょうか。

彼を知り己を知れば百戦殆からず

とかいう言葉も使えなくなってしまうのでしょうかね。